2016年6月 7年半ぶりにロサンゼルスへ一時帰国! 7 ジャッキーとの出会い

ここでは僕の恩人であるジャッキーのことを聞いてください。

 

ジャッキーと出会ったのは、手に職をつけようと僕が寿司職人として駆け出しの頃で、アメリカ生活2年目の2002年の27歳の秋でした。英語は全然ダメなまま。

 

その当時働いていたお店は、電話帳に載っているロサンゼルスの日本食レストランに、片っ端から電話して見つけました。

 

本当にこのお店では、魚のさばき方や、握り方、いろいろ教えてもらいました、魚屋にも一緒に仕入れについて行ったり、働き始めてすぐにお客さんの相手までさせてくれました。(内心、こんな初心者がこんなことしていいの?って思ってましたけど、、)僕が学びたかったこと、させてもらいたかったこと、僕の本気度も伝わったのでしょう、全て叶いました!

 

もう語学学校には行かなくなり、ほぼフルタイムで働いていました。この時初めて、自分用の正本の柳刃包丁(刺身包丁)と出刃包丁を揃えました!

 

そんな時です、ジャッキーと出会ったのは。もともと彼女はこのお店の常連さんで、僕が働き始める前から、週に1・2回通っていました。

 

経験が浅い職人に寿司を握ってもらうのが嫌なのは、日本もアメリカも同じで、初めは僕の前のカウンターに座ることはなかったのですが、ちょうど寿司のヘッドシェフの前のカウンターの席が満席で、僕の前に座らざるを得ないことがあったのです。

 

それからです、ヘッドシェフの前の席が空いていても、僕の前に彼女が座って僕のお寿司を食べてくれるようになったのは。

 

それに、僕には喋りやすいのか、本当にたくさん喋ってくれました。ただ当時の僕は寿司の注文ぐらいは取れるようになっていましたが、日常会話はまだまだダメで、彼女が何を行っているのかさっぱり分かってなくて、「really?(本当?)」と聞いてるフリをしていただけなのです。それでも僕が相槌を打ったりするから、僕の英語力のなさを知らずに彼女は喋り続けていたのです。今となっては、笑い話ですが、、彼女は僕の一番最初の常連のお客さんです。

 

それからしばらくして、僕はもっと寿司シェフとしての芸域を広げたい、いろんな料理を食べ歩いてみたい(お寿司は一人で食べ歩いてました)と思うようになっていました。英語の勉強も全然上達しないのを感じながら続けていました。そして「あ、ジャッキーだったら食べ歩きに付き合ってくれるかもしれない。それに二人だけだと英語だけしか喋らないから最高やん!」と思って、ジャッキーに食べ歩きに行きたいと伝えてみました。OKしてくれました!

 

それから月一回、彼女とのロサンゼルスの有名レストランの食べ歩きが始まりました。新聞も雑誌も数冊購読している彼女に、話題のお店や一度は行っておくべきお店を選んでもらい、さらに予約することまで引き受けてくれました。もちろんこの時Spagoにも行きました。

 

グルメな彼女は、大抵の料理は食べているようで、僕にいろんな国の料理の説明をしてくれたりしました。あまり食べたことがなかったチーズに少しづつ目覚めたり、料理の幅を広げようと新しいレシピを作ったり、家でデザート作りに挑戦するようになったのも、この食べ歩きがきっかけになりました。(この経験がなかったらリカルドの目に僕が止まらなかったと思います)

 

食べ歩きの他には、ユダヤの祭日の儀式にあのユダヤ人の帽子をかぶって参加させてもらったり、彼女の友達のクリスマスパーティーに何件も参加したり、彼女が家を買ってハウスウォーミングパーティー(リフォーム完成パーティー)をする時、僕が寿司のケイタリングをしたり、僕がどこで働いていようが、僕のお寿司を食べに来てくれました。友達もいっぱい紹介してくれました。

 

まだまだ書き足りないですが、ジャッキーは僕の恩人です。

 

4日目の夜から4日間はジャッキーとキースの家でお世話になりました。あのハリウッドサインのある山の中に家はありました。

 

 

家の裏側の写真。前は谷、静寂の中に鳥たちの鳴き声、リスが遊んでたり、緑いっぱいで気持ち良かった!でもここは仮住まいだった、最近納得の家を買ったらしいです。それも結構大きな家らしい。

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